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お父さん、いっぱいありがとう 

父は山男だった。
日本アルプスの山々がお気に入りだったらしい。
結婚後、遭難などで家族に迷惑をかけないようにと軽いトレッキング程度に。

私の山登りデビューは2歳。
芦屋川⇒ロックガーデン⇒最高峰⇒有馬温泉という有馬越え12~3キロのコース。
ロックガーデンの岩場だけは抱っこして登ったけれど、あとは全て一人で歩いたと聞いている。
今の私が登ったらゼイゼイハァハァ言いそうな気がする。

ゲレンデデビューも2歳。
そのころの写真を見ると、ジャンパーに防水スプレーをかけるだけという寒々しいスタイル。
吹雪のゲレンデでみかんを頬張っている…
足元は赤いミニスキー
ただ、履いているだけ。
毎年、大晦日から正月三が日は家族でスキー旅行と決まっていた。
受験なのに高校3年生の冬までついていった。

天気が良ければ日曜日は専らキャンプやトレッキング。
アスレチックや釣りも良く行った。
小さいころからそんな休日でも、私自身はあまりアウトドアに興味はない・・・と、思っていた。
けれど、父の影響をしっかり受けていたのかもと思ったりする。
今はオシャレなスポーツとして定着しているボルダリング。
十数年前「クライミング・フリー」という伝説の女性クライマーの自叙伝を読んだのをキッカケで始めた。
当時、周りにボルダリングをしている人なんていなかった。
家に父のピッケルやザイルがあった。
だからこそ、登ることに興味を持ったのだろうと今は思う。
結婚を機に止めてしまったけれど、こんなにブームになるならボルダリングシューズ捨てるんじゃなかったな。
もしかしたら通える範囲にクライミングジムが出来るかもしれない。

社会人となっても、トレッキングもスキー・スノボも良く行った。
当たり前だったからあまり感じたことはなかった。
けれど、改めて父の影響は大きいかったんだと思う。
ただ、あの高校3年の冬以来、父とはスキーに行かなかった。
いつも友達とばかり。
70才まで父はスキーを楽しんでいたのに…

父は無口で頑固で仕事熱心。
しゃべるとお金が要るの?というくらいしゃべらなかった。
私は学校や仕事から帰ると、父の居る仕事場に「ただいま」と顔を出す。
「おかえり」とは言われたことがない。
こっちを見て、ほんの少し口角を上げて笑う。
父なりの「おかえり」だった。
それは、子供の頃から結婚で家を出るまで変わることはなかった。



母から電話がかかってきた。
「無理してでも今日中に帰ってきて!」と慌てた様子で。
数日前から入院したとは聞いていた。
けれど、すぐに退院できると言っていたのに…

娘を抱っこ紐で抱っこし、スーツケースを押して駅にむかった。
初めての新幹線に興味津々の娘。
じっとはしていないので大変だ。
でも、気が気ではない状況も、無邪気な娘の笑顔に救われる。

東京から新神戸まで3時間、たくさんの思いが廻った。
私は40歳という遅い遅い結婚だった。
無口な父は何にも言わなかったけれど、きっとすごく心配していたんだと思う。
結婚が決まった時、小さな声で「良かったな」と言い、ビールを一気飲みしていた。
バージンロードは緊張しまくりでぎこちない動き。
初めて娘を連れて帰った時はしわくちゃな笑顔で抱っこしてくれた。
数年前から病と闘っていたため、正直「間に合った」と思った。

そして、今回も。

術後、意識は戻っているというのに、父は動かない。
母も兄も首を横に振る。
「表現できないだけで声は聞こえていますから」と医師は言う。
母は父が好きだった「この世の花」という曲を耳元で繰り返し聞かせていたそう。

眠っているようにしか見えない父に話しかけた。
「ただいま!帰ってきたで!ここにおるよ!」って大きな声で耳元に。
私と娘の手を父の手にポンと乗せてみた。
すると、今まで全く動かなかった父が口角を上げてほんの少し笑った。
目は閉じられたまま、ほんの少し。
まさかの反応に涙が溢れた。
でも、それが最後だった。
そのあとはもう何を言っても、反応はなかった。
「もうすぐ帰ってくるから頑張って」
父の耳元で母は繰り返し、私が向かっていることを話していたという。
私が戻ってくるのを待っていてくれたんだ。

小柄な父だった。
けれど、仕事をする父の背中はとても大きかった。
いっぱい、いっぱいありがとう。





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カテゴリ : [育児]1歳
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Author:noco122
不妊治療3年半、45歳で女児を出産。何度も何度も諦めようかと悩みながらも頑張って良かったと思っています。初めての子育て、高齢ママには体力的には厳しいですが、楽しい毎日を送っています。

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