着床前診断 その1 神戸のクリニックへ 

希望の着床前診断!いざ、神戸へ!
神戸への帰省は随分前から決めていました。
お正月は妊娠中で帰省しなかったため、3月に帰ろうとスカイマークのチケットは手配済み。
そんな時に先生から出た着床前診断という言葉。
凄いタイミング!
今でしょ!って言われてる気がした。
着床前診断ををすすめられた日、即・大谷クリニックへ電話。
ラッキーなことに帰省予定中に予約が取れたのです。
これは間違いなく「行け」って言われてる!…と思い込みの激しい私は一人で納得。

 f235.gif

ただ、着床前診断を受けるには、まず院長先生の診察を受けること。
その後、着床前診断のカウンセリングをけなければならない。
しかし、そのカウンセリングの予約は電話では不可。
とりあえず、院長先生の診察を受けなければ先に進めないということ。

帰省した日は私にとって特別な日。
家族でも胸に残る日はみんな違っている。
父は仕事が再開できた日。
母は家が再建された日。
祖母は避難先から家に帰って来た日。
そして私は、全壊した我が家が解体されたこの日。
さら地を前に「絶対、ここに帰ってくる!」と誓ったことを思い出す。
改めて、あの頃の自分に負けられない、と思う。

震災をしみじみと思い出すのは、大谷レディースクリニックの場所が理由。
着床前診断のために訪れた大谷クリニックは神戸・三宮駅の真ん前にあるミント神戸というビルにある。
ミント神戸は震災の11年後に再建されたビル。
阪神淡路大震災当時は「神戸新聞会館」という古めかしいビルだった。
ビルの壁一面に描かれた富士山が大好きだった。
神戸市民に親しまれていましたが、老朽化が激しく震災の数年前から解体の話が出ていた。
しかし、バブルが弾け、ビルの建て直しは先送りされ、結局震災で崩壊。
子供の頃、映画を見るときはいつも神戸新聞会館。
待ち合わせするのはきまって神戸新聞会館のモニター前。
そして、震災当時、私はその神戸新聞会館内で働いていた。
大谷クリニックのあるミント神戸は思い入れがある反面、震災を鮮明に思い出す場所であり、ずっと避けていた場所なのです。

でも、着床前診断を受けたいと決め、久々にやって来たこの地。
エレベーターを待っているだけで、すでに息苦しい…PTSDが再発するのではと怖くなる。
大谷クリニックのある14階へ到着。
窓からの景色。特に、東側は震災前とあまり変わっておらず、懐かしさと悲しさで胸がいっぱいに。
18年前、働いていた頃が蘇る。
震災が起こった時間がもう少し遅ければ、私はビルと共に死んでいただろうな。
待ち時間の間、窓の外の風景を見ながら地獄だった十数年を思い出して気持ちはどんより。
あぁ、やっぱりこのビルは気持ちが落ち込む。
あの頃、私はまだ24歳だった。
あの頃、結婚していれば、今頃は子供いたのかな…
震災さえなければ結婚してただろうから、きっと。
壊れてしまった過去を思い出しながら、待つこと1時間15分。
診察の順番が回ってきました。

でも…せっかく来たのに、さらに気分が沈む院長先生のお話が始まりました。

長くなってしまったので… つづく。 ⇒ 着床前診断 その2 拒否られた

にほんブログ村 マタニティーブログ 不妊(高齢赤ちゃん待ち)へ
にほんブログ村

 関連記事 
⇒ 命の選別 着床前診断
⇒ 3度目の体外受精
⇒ 妊娠判定 高hcg値キター♪
⇒ 稽留流産、そして流産手術
⇒ 初の凍結胚移植へ(体外受精4度目!)
⇒ 卒業するはずだった日の長い長い1日 ~2度目の稽留流産~
⇒ 先生から「着床前診断」のすすめ

 
PR
スポンサードリンク
プロフィール

noco122

Author:noco122
45歳。不妊治療3年半。卵管閉塞と精子無力症のため、顕微授精をしています。2度の稽留流産で泣き崩れましたが、着床前診断を受けるため大谷クリニックへ転院し、待望の妊娠!はじめてのマタニティライフを送っています。

カテゴリ
FC2
フリーエリア